中国茶の歴史
黒茶(プーアル茶)の歴史 (2015/11/13)
黒茶は産地や製法の違いで多くの種類があり、古の時代より中国辺境の少数民族の間で愛飲されてきました。
いつの時代からの茶葉を黒茶と定義するかは諸説あるようです。
黒茶の原型は、茶馬古道の始まった時期にできたと考えられています。
辺境の少数民族との茶馬交易により、茶葉は産地から辺境の地へと長い時間をかけて運ばれていきました。
流通が不便だった当時、茶葉を馬の背に乗せて運んでいるうちに、湿気・暑さ・微生物の作用などで、到着した頃には自然に後発酵のお茶になっていたともいわれています。
また運搬に便利なように茶葉は固められ緊圧茶となっていきました。
しかし、唐代(618年~690年/705年~907年)・宋代(960年~1276年)の茶馬交易の茶葉は製茶方法としては「蒸青団茶」で、分類としては緑茶になります。
「宋代に緑茶が黒く変化して、」と文献には残っていますが、黒茶として生産が開始されたのは明代(1368年~1644年)とされています。
ともあれ、黒茶の歴史は長い中国の歴史とともに生まれ、茶馬交易とともに長い道のりをたどりながら発展していったとてもロマンのあるお茶といえます。
古から現在に至るまで、辺境の少数民族にとっては「一日も欠かすことのできないもの」といわれるほどの生活必需品として長い歴史を歩んできています。
プーアル茶はお茶のルーツの一つともいわれています。
黒茶の産地は雲南省、四川省、湖南省、湖北省、広西チワン自治区、貴州省などです。
特に雲南省は茶樹そのものの原産地ともいわれ、野生の茶樹が最も多く発見されている地域です。
少数民族のハニ族などの間で仙薬として古くからつたわっており、紀元前から飲まれてきたともいわれています。
三国時代には諸葛孔明が茶葉の栽培をジノ族に伝えたという伝説も残っています。
唐代皇女文成公主がチベットにお嫁入りし、チベットにお茶の習慣が伝わりました。
その後、茶馬古道と呼ばれる茶馬交易路にのって、お茶は交易品としてチベットや辺境の少数民族へと運ばれていくようになります。
南宋の李石「続博物誌」に、「西藩用普茶、己自唐朝」と記載されており、唐代よりチベットではプーアル茶が飲まれ、当時は“普茶”と呼ばれていたことがわかります。
宋代にはお茶の需要が高まったチベットと、軍馬が必要な中国との間で、安定した茶馬交易がおこなわれます。
1578年李時珍の「本草網目」に「士庶所用、皆普茶也、蒸而成団」とあり、明代には普茶は皆に飲まれ、蒸されて固められていたことがわかります。
清代には献上茶として宮廷でも愛飲されるようになりました。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀がとても愛飲していたことは有名です。
1729年にお茶の交易の中心となっていた地を正式に「プーアル府」と呼ぶようになり、次第にプーアル茶という名前が定着していきます。

近代にはいり、1973年に渥堆という人工的に後発酵を促す製茶工程が開発されて、プーアル熟茶が短期間熟成でできるようになってきました。
1990年代になると、プーアル茶の評判が高まって、プーアル茶ブームが始まりました。
寝かせれば寝かせる程価値が上がってくるプーアル茶は投資の対象となり、プーアル茶バブルが到来しました。
それにともない粗悪品もでてくるようになったので注意が必要です。
バブルははじけ、2009年頃からプーアル茶の市場は落ち着きを取り戻してきました。
2012年頃から、本当に価値のある良品のプーアル茶の価格は上昇傾向にあります。
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2015年11月13日 5:52 PM |
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