中国茶の知識
黒茶は、緑茶と同じように製茶した後、
高温多湿な場所に長期間積んで寝かせ、微生物の力で発酵・熟成させた後発酵のお茶です。
後発酵の方法により生茶と熟茶に分けられます。
生茶は、緑茶を長い年月をかけて後発酵させていくもので、年月が経つごとに熟成が進み、芳醇になっていきます。
何年も寝かせたものはヴィンテージ品となり、骨董価値がでてきます。
熟茶は、渥堆という人工的に後発酵を促す工程を経て、短期間で熟成させたものです。
黒茶は、チベット・内蒙古・新疆ウイグル自治区などの地域で多く消費されています。
中国辺境の少数民族、なかでも遊牧民族は冬は極寒、夏は乾燥となる厳しい環境下で暮らしており、食生活も肉食中心となる民族が多いです。
その彼らにとって、お茶は野菜の摂取量を補い、ビタミン補給となる大事な栄養補給源となるとともに、
消化を助ける・脂っこいものを食べた時に油を流し去る・カロリーを取り去るなどの効能も、必要不可欠とされています。
辺境の少数民族にとって「食事を取らなくても、お茶は1日も欠かすことができない」と言われるほどの生活必需品です。
また黒茶はいくつかの形があります。
<黒茶(プーアル茶)の形状分類>
・散茶
散茶とはバラバラの形状のお茶。
散茶はそのまま茶壺にお好きな量を入れて、簡単にプーアル茶が楽しめます。
・緊圧茶

緊圧茶は散茶に蒸気を与え、茶葉を柔らかくします。
柔らかくなった茶葉を布で絞り固め、形を作ります。保存に便利です。
リリーは
餅茶・七子餅茶と小沱(とう)茶を取り扱っております。
餅茶はプーアル茶の形状としては最もポピュラーなタイプ。
一枚357gが基本形ですが、日本の皆様に使いやすいようにリリーは1枚100gの可愛いミニタイプの餅茶を作りました。
「七子餅茶」とは
餅茶を7枚重ねて竹の皮で包んであります。
「七子」は子孫が多く福が多いという意味があり、縁起がいいとされています。
さらに、丸い餅茶は一家団欒を表します。
七子餅は縁起物として大変喜ばれ、結婚、出産、正月、祝日などのお祝いの贈り物によく使われています。
小沱(とう)茶はお椀のような形に固められたとう茶を1粒5gのミニサイズ餅茶です。
1粒1回分なので大変便利です。
散茶と緊圧茶の違い
散茶:気軽に楽しめます。飲みたい時に飲みたい分量をすぐ用意できます。
緊圧茶:圧縮されているので、保存や運搬に便利です。
また長期熟成するこtによる変化を楽しめます。
収蔵するには緊圧茶がおすすめです。
プーアル茶の長期熟成による品質の変化の過程を楽しむことができるからです。
緊圧したお茶は体積が小さく、保管しやすいだけでなく、緊圧により、茶の内部の酸素濃度が低くなり、変質しにくく、
また後発酵に有利になると言われています。
-当店の散茶→
ホームページと
楽天市場の袋物と箱物です。
—当店の緊圧茶はこちら→
(楽天市場)と
ホームページ餅茶
—当店の小沱(とう)茶はこちら
(楽天市場)
2015年12月5日 4:13 PM |
カテゴリー: 中国茶の歴史, 中国茶の知識
黒茶は産地や製法の違いで多くの種類があり、古の時代より中国辺境の少数民族の間で愛飲されてきました。
いつの時代からの茶葉を黒茶と定義するかは諸説あるようです。
黒茶の原型は、茶馬古道の始まった時期にできたと考えられています。
辺境の少数民族との茶馬交易により、茶葉は産地から辺境の地へと長い時間をかけて運ばれていきました。
流通が不便だった当時、茶葉を馬の背に乗せて運んでいるうちに、湿気・暑さ・微生物の作用などで、到着した頃には自然に後発酵のお茶になっていたともいわれています。
また運搬に便利なように茶葉は固められ緊圧茶となっていきました。
しかし、唐代(618年~690年/705年~907年)・宋代(960年~1276年)の茶馬交易の茶葉は製茶方法としては「蒸青団茶」で、分類としては緑茶になります。
「宋代に緑茶が黒く変化して、」と文献には残っていますが、黒茶として生産が開始されたのは明代(1368年~1644年)とされています。
ともあれ、黒茶の歴史は長い中国の歴史とともに生まれ、茶馬交易とともに長い道のりをたどりながら発展していったとてもロマンのあるお茶といえます。
古から現在に至るまで、辺境の少数民族にとっては「一日も欠かすことのできないもの」といわれるほどの生活必需品として長い歴史を歩んできています。
プーアル茶はお茶のルーツの一つともいわれています。
黒茶の産地は雲南省、四川省、湖南省、湖北省、広西チワン自治区、貴州省などです。
特に雲南省は茶樹そのものの原産地ともいわれ、野生の茶樹が最も多く発見されている地域です。
少数民族のハニ族などの間で仙薬として古くからつたわっており、紀元前から飲まれてきたともいわれています。
三国時代には諸葛孔明が茶葉の栽培をジノ族に伝えたという伝説も残っています。
唐代皇女文成公主がチベットにお嫁入りし、チベットにお茶の習慣が伝わりました。
その後、茶馬古道と呼ばれる茶馬交易路にのって、お茶は交易品としてチベットや辺境の少数民族へと運ばれていくようになります。
南宋の李石「続博物誌」に、「西藩用普茶、己自唐朝」と記載されており、唐代よりチベットではプーアル茶が飲まれ、当時は“普茶”と呼ばれていたことがわかります。
宋代にはお茶の需要が高まったチベットと、軍馬が必要な中国との間で、安定した茶馬交易がおこなわれます。
1578年李時珍の「本草網目」に「士庶所用、皆普茶也、蒸而成団」とあり、明代には普茶は皆に飲まれ、蒸されて固められていたことがわかります。
清代には献上茶として宮廷でも愛飲されるようになりました。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀がとても愛飲していたことは有名です。
1729年にお茶の交易の中心となっていた地を正式に「プーアル府」と呼ぶようになり、次第にプーアル茶という名前が定着していきます。

近代にはいり、1973年に渥堆という人工的に後発酵を促す製茶工程が開発されて、プーアル熟茶が短期間熟成でできるようになってきました。
1990年代になると、プーアル茶の評判が高まって、プーアル茶ブームが始まりました。
寝かせれば寝かせる程価値が上がってくるプーアル茶は投資の対象となり、プーアル茶バブルが到来しました。
それにともない粗悪品もでてくるようになったので注意が必要です。
バブルははじけ、2009年頃からプーアル茶の市場は落ち着きを取り戻してきました。
2012年頃から、本当に価値のある良品のプーアル茶の価格は上昇傾向にあります。
リリーの有機プーアル茶はこちら→
http://www.lili-baraen.jp/category/item/tea/black (ホームページ)
→
http://item.rakuten.co.jp/elk-shop/c/0000000150/ (楽天市場)
2015年11月13日 5:52 PM |
カテゴリー: 中国茶, 中国茶の歴史, 中国茶の知識
喜鹊=カササギ
「眉」と「梅」の発音は同じ「メイ」
なので「喜上眉梢」を絵で表現するとこの茶器の写真になります。
また昔からカササギの鳴き声は喜び事の前兆といわれています。
言葉遊びの一つでもあり、このようなモチーフはよく日常生活で使われています。
(茶器、茶碗、窓枠の装飾、シーツ、布団のカバーなど)
店内の茶器で探してみては?
2014年11月18日 12:27 PM |
カテゴリー: 中国茶, 中国茶の歴史, 中国茶の知識
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2014年8月5日 11:27 AM |
カテゴリー: 中国茶の歴史, 中国茶の知識